『五輪書』を借りてきた。
2011年 10月 01日
例のバンリイックウを確かめたくて、宮本武蔵の『五輪書』(岩波文庫)を借りてきたんだが、なんと出典は『五輪書』ではなかった。
これが内容。
五輪というのは、仏教用語で、この世を構成している地・水・火・風・空の五大要素を言うらしい。だから、『五輪書』は、地之巻~空之巻までの五章だけで、この文庫の最後の「兵法三十五箇条」というのは別物。ところが、件(くだん)のバンリイックウという言葉は、こちらの最後の最後、なぜだか36番目に書かれていた。
で、当初の疑問のバンリイックウは、万理一空だった。桑田氏ではなくて、お相撲さんが正解だった。しかし、400年近く前の本で、しかも自筆の本が残されていないから、もしかすると「万里一空」とする異本があるのかも知れない。
この『兵法三十五箇条』は、寛永18年(1641年)に、武蔵が寄寓していた肥後熊本藩の殿さま細川忠利の求めに応じて書かれたそうで。因みにこの殿さまのオッカサンは細川ガラシャ、ということは明智光秀の孫なんだな。
で、一方の『五輪書』は、正保2年(1645年)、その死の直前に書きあげたものらしい。武蔵は61か62歳。
だから、この言葉の出典を『五輪書』とするのは間違い。
一応本文を引用しておくと・・・。
「一 万理一空の事
万理一空の所、書あらはしがたく候へば、自身御工夫なさるべきものなり。
右三十五箇条は、兵法の見立、心持に至るまで大概書記申候。・・・中略・・・猶御不審の処は、口上にて申あぐべき也。」
ちょいと訳してみると・・・。
「一 万理一空の事
万理一空のところは、書き表すのが難しいので、自身でご工夫なさったほうがよいでしょう。
以上の三十五箇条は、兵法の見立、心持にいたるまで大方お書きいたしました。・・・中略・・・それでも御不審のところがあれば、直接説明申し上げましょう。」ってな感じだな。
殿さまへの私信のような塩梅になっているが、無骨な武芸者だからか、それとも随分と親しい間柄だったのか、一国の殿さまに奏上するにしては簡潔なそっけない文章だ。
で、肝心の万理一空・・・。これはぁぁ、多分、武蔵くらいの名人にしかわからない境地で、兵法について、どんな道理を持ち出してもその神髄を説明し尽くすことはできない。つまり、どんな道理も、兵法の神髄の前では、一瞬にして空しいものとなってしまう。だから、「万理一空」というのは、「武芸の神髄」くらいの意味じゃないかねぇ。もちろん、それは13の歳から・・・数えだから11~12歳・・・命のやり取りをし続けた兵法者としての宮本武蔵玄信が体得した「神髄」であって、そんなものは他人には到底説明できんものだし、文字で書き表すことなんてできないに決まっている。
こう言っては気の毒だが、一介の相撲取りが気軽に使える言葉ではないな。
そして、9月29日付の読売の朝刊の「編集手帳」というコラムの文章が面白かったからちょいと引用させてもらって・・・。
「・・・略。武蔵いわく〈万理一空の所、書あらはしがたく候へば、おのづから御工夫なさるべきものなり〉。自分で考えよ、と。心身の鍛練と、技の工夫と、すべての筋道(理)をたどり尽くし、無我(空)というただ一つの境地に至れ・・・。わが、なけなしの知恵で相撲道にあてはめれば、そういった意味にでもなろうか」だってさ。違うんじゃないかい?どなたがお書きになったんだろか・・・。「わが、なけなしの知恵で」なんて、要らぬ謙遜をしてみせたところから、鼻の穴をふくらませた自慢げな記者の顔が浮かんでくる。
さて、ついでに借りてきた本、あぁぁまた料理関係だって。
そして、またまた売れた。今度は、『エイリアン2』。
これは面白かったなぁ。マザーエイリアンと鉄の女サッチャーじゃなかった、シガニー・ウィーバー扮するリプリーの壮絶な戦い。言うなれば、母親同士の一騎打ちだ。もう一度見たいのぅ。ビデオ屋で探してみよっ。
今日は、色々とこまごまと買い物したんだが、長くなったから別に書くことにする。
これが内容。
五輪というのは、仏教用語で、この世を構成している地・水・火・風・空の五大要素を言うらしい。だから、『五輪書』は、地之巻~空之巻までの五章だけで、この文庫の最後の「兵法三十五箇条」というのは別物。ところが、件(くだん)のバンリイックウという言葉は、こちらの最後の最後、なぜだか36番目に書かれていた。
で、当初の疑問のバンリイックウは、万理一空だった。桑田氏ではなくて、お相撲さんが正解だった。しかし、400年近く前の本で、しかも自筆の本が残されていないから、もしかすると「万里一空」とする異本があるのかも知れない。
この『兵法三十五箇条』は、寛永18年(1641年)に、武蔵が寄寓していた肥後熊本藩の殿さま細川忠利の求めに応じて書かれたそうで。因みにこの殿さまのオッカサンは細川ガラシャ、ということは明智光秀の孫なんだな。
で、一方の『五輪書』は、正保2年(1645年)、その死の直前に書きあげたものらしい。武蔵は61か62歳。
だから、この言葉の出典を『五輪書』とするのは間違い。
一応本文を引用しておくと・・・。
「一 万理一空の事
万理一空の所、書あらはしがたく候へば、自身御工夫なさるべきものなり。
右三十五箇条は、兵法の見立、心持に至るまで大概書記申候。・・・中略・・・猶御不審の処は、口上にて申あぐべき也。」
ちょいと訳してみると・・・。
「一 万理一空の事
万理一空のところは、書き表すのが難しいので、自身でご工夫なさったほうがよいでしょう。
以上の三十五箇条は、兵法の見立、心持にいたるまで大方お書きいたしました。・・・中略・・・それでも御不審のところがあれば、直接説明申し上げましょう。」ってな感じだな。
殿さまへの私信のような塩梅になっているが、無骨な武芸者だからか、それとも随分と親しい間柄だったのか、一国の殿さまに奏上するにしては簡潔なそっけない文章だ。
で、肝心の万理一空・・・。これはぁぁ、多分、武蔵くらいの名人にしかわからない境地で、兵法について、どんな道理を持ち出してもその神髄を説明し尽くすことはできない。つまり、どんな道理も、兵法の神髄の前では、一瞬にして空しいものとなってしまう。だから、「万理一空」というのは、「武芸の神髄」くらいの意味じゃないかねぇ。もちろん、それは13の歳から・・・数えだから11~12歳・・・命のやり取りをし続けた兵法者としての宮本武蔵玄信が体得した「神髄」であって、そんなものは他人には到底説明できんものだし、文字で書き表すことなんてできないに決まっている。
こう言っては気の毒だが、一介の相撲取りが気軽に使える言葉ではないな。
そして、9月29日付の読売の朝刊の「編集手帳」というコラムの文章が面白かったからちょいと引用させてもらって・・・。
「・・・略。武蔵いわく〈万理一空の所、書あらはしがたく候へば、おのづから御工夫なさるべきものなり〉。自分で考えよ、と。心身の鍛練と、技の工夫と、すべての筋道(理)をたどり尽くし、無我(空)というただ一つの境地に至れ・・・。わが、なけなしの知恵で相撲道にあてはめれば、そういった意味にでもなろうか」だってさ。違うんじゃないかい?どなたがお書きになったんだろか・・・。「わが、なけなしの知恵で」なんて、要らぬ謙遜をしてみせたところから、鼻の穴をふくらませた自慢げな記者の顔が浮かんでくる。
さて、ついでに借りてきた本、あぁぁまた料理関係だって。
そして、またまた売れた。今度は、『エイリアン2』。
これは面白かったなぁ。マザーエイリアンと鉄の女サッチャーじゃなかった、シガニー・ウィーバー扮するリプリーの壮絶な戦い。言うなれば、母親同士の一騎打ちだ。もう一度見たいのぅ。ビデオ屋で探してみよっ。
今日は、色々とこまごまと買い物したんだが、長くなったから別に書くことにする。
by obakeland2008
| 2011-10-01 21:20
| 本
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